現在時刻:午前11時19分

1905年の日本海海戦2日目。夜間は水雷隊による襲撃でロシアバルチック艦隊に休む暇を与えず、緊張と疲労困憊に陥れた日本海
勝敗が決定的になった2日目。無事ウラジオストックにたどり着いた艦はホンのわずか。主力艦のほとんどは撃沈もしくは大破拿捕の運命だった。
そんな歴史があった。
しかし国際情勢を探れば当時は日英同盟もあったし、アメリカも日本に支援していた。大国の後ろ盾があってなんとか補給が続いていた日本。のちにそれを自力だと勘違いした第2次大戦時の軍人。結果は当然だわな、、、


栄光の日本海連合艦隊。その後の歴史は思い上がりと兵器・戦略の研究不足、相手を馬鹿にした作戦、そして国力を無視し、時代の変化に対応していなかった建艦計画。
まさしく破滅への道だったな。
もし、太平洋戦争の緒戦で日本海軍が艦隊決戦を挑んで米太平洋艦隊と戦っていたら・・・と考えると真珠湾攻撃のような一方的戦果はないが、少なくとも撃沈した艦艇が復活することもなかったし、主戦場にたどり着くまで衰弱しきった状態で戦うこともなかっただろうにと。
そして米主力戦艦相手に1発も撃つことなく撃沈もしくは爆沈した戦艦大和、武蔵、陸奥のような悲劇もなかったのでは?と。
もっともそれは歴史の結果からの判断だが、もしオレが当時の連合艦隊を動かせる立場の人間だったらと考えるとどうだったろうかと・・・
かなり厳しい状況だろうな。今考えているような簡単なことではないわな・・・
どの道、最終的には日本は負けることになるのだが、昭和19年からの一方的敗北ということもなかったのでは?と思う。
そこはやはり悔しさなのかなぁ〜、、、
終戦時、日本海軍で稼動可能状態の戦艦は1隻・長門のみだった。米機動部隊の呉軍港空襲がなければ他に榛名、伊勢、日向の3隻も生きていただろうけれど、何分燃料が枯渇した状態で作戦行動など全くとれない状態だったしな。どうしようもない。
連合艦隊の歴史はそこで幕を下ろした。
めちゃくちゃ虚しい。。。
しかしそこから何かを学ばなければ未来はない。