現在時刻:午前10時03分

69年前の本日、1944年10月25日フィリピン周辺海域で行なわれた日米海軍の戦い。日本では捷一号作戦。
この日、日本海連合艦隊の空母機動部隊が全滅した。すでに航空戦力はほとんど無く、空母を囮として元から全滅覚悟の出撃。
日米開戦の真珠湾攻撃以来活躍してきた歴戦の正規空母瑞鶴をはじめ、軽空母瑞鳳、水上機母艦から空母に改装された軽空母千歳、千代田の計4隻が沈没。
この他にも囮艦隊からは軽巡多摩、防空駆逐艦秋月、初月が撃沈させられている。
ただこの艦隊に配属されていた航空戦艦伊勢と日向は対空戦闘において巧みな操艦と効果的な対空射撃により自艦の損害無く、反対に米艦載機を複数撃墜している。
主力の遊撃部隊のうち、第三部隊であった戦艦扶桑、山城を主力とする西村艦隊は夜戦で米旧式戦艦部隊等の待ち伏せに遭い、ただでさえ劣勢な戦力の中、ほぼ一方的な攻撃を受け、戦艦扶桑、山城、航空巡洋艦最上、駆逐艦山雲、満潮、朝雲が撃沈され、特に戦艦扶桑は魚雷命中により弾薬庫が大爆発を起こし船体は真っ二つに折れ、生存者はゼロという悲惨さ。この部隊で生き残ったのは駆逐艦時雨ただ1隻という壊滅ぶり。そして戦艦大和を旗艦とする栗田艦隊はレイテ島手前のサマール島沖にて米護衛空母群の一つと遭遇。圧倒的な火力を有していながら作戦行動開始から夜間は敵潜からの雷撃、昼間は艦載機による空襲により極度の緊張状態と不眠不休状態の乗組員は疲労困ぱい、作戦行動中は燃料補給が無いため戦闘時以外は経済速力維持、相手が低速護衛空母といえど艦載機を持っているため航空攻撃はもちろん、護衛の駆逐艦部隊の大奮戦により日本軍側は重巡鈴谷、筑摩、鳥海が最終的には沈没、重巡熊野が雷撃で艦首を大破というこちらもさんさんたる状況。ただ戦艦金剛が護衛空母1隻を砲撃で撃沈、他の艦と合わせて駆逐艦3隻も撃沈している。これがこの作戦において栗田艦隊が挙げた唯一の戦果。
23日の重巡愛宕、摩耶の撃沈から24日の戦艦武蔵沈没、そして25日の戦闘結果、空母4隻、戦艦3隻、重巡6隻、軽巡1隻、駆逐艦6隻を失い、翌日には空襲などでさらに軽巡3隻、駆逐艦3隻が沈没。他にも本作戦に投入された潜水艦も消息不明が多数。撃沈されたものと推測されている。
生き残った艦艇の大多数も大なり小なりの損傷を受け、無傷の艦はごく僅か。この時点で連合艦隊は事実上壊滅したと言われている。
さらに損害はこれだけにとどまらず、27日には航行不能になった味方艦の救援に向かった駆逐艦藤波、不知火も米空母艦載機の攻撃によりシブヤン海にて撃沈され、生存者ゼロ。特に藤波には重巡鳥海から救出された将兵もいたがともに生存者ゼロという悲劇。
そして25日は神風特別攻撃が米空母に突入、撃沈した日でもある。正規戦術で航空機による組織的体当たり攻撃はこれが始まりとも言われ、以後特攻作戦のための部隊が終戦まで次々に誕生することに。
元から天運に賭けるくらいの作戦成功率だったかもしれないが、作戦目標のレイテ島を目前にして栗田艦隊の謎の反転で連合艦隊の大敗北で終わったこの戦い。
この作戦の是非、戦争の是非はともかく、無念のうちに戦死した多数の英霊に黙祷を捧げたい。