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戦艦武蔵が発見されて色々真実が発見されたが、この雑誌を見て、改めてその凄まじさを知ることになった。
それはコレッ!↓



今年3月にポール・アレン氏のあの実況生中継の画像を見ていたが、この雑誌には武蔵の沈没状況がCGを使って説明がなされている。武蔵の残骸は500メートル四方以上に散らばり、船体は艦首から第1砲塔バーベット直後部分とおそらく第3砲塔あたりから後部分に真っ二つ、大和同様艦中央部の船体部分はなくなっている。この状況から武蔵は沈没時の爆発だけでは説明がつかず、後の海中沈降中にある程度の水深に達したときに海水が流入した罐(ボイラー)の水蒸気爆発に起因して主砲弾薬庫も誘爆し、艦中央部の船体を粉砕したものと推測されると結論付けられている。
大和の場合は沈没時に第2砲塔弾薬庫が大爆発を起こしているので発見時に船体が真っ二つになっていた。そして武蔵も船体後部は裏返しの状態であった。艦中央部に設置されている水管ボイラーなどが武蔵の場合見つかっているが、それらは艦体爆発時に吹き飛ばされた一部とみなされている。また後部の艦載機搭載甲板のターンテーブルと軌条が発見されているが、後部船体が裏返し状態なのにそれが発見されたということは甲板部分が吹き飛ばされたと思われる。
大和の場合は武蔵と比較して沈没水深が約360メートルと浅かったため、あの大爆発でも船体部品の散らばり具合が比較的狭い範囲内で収まっているし、裏返し状態であるが主砲塔はほぼ均等に抜け落ちているのも発見されているが、水深約1100メートルの武蔵の場合は46センチ主砲塔の発見場所は船体からかなり遠くの位置で1基見つかっている。
ただ大和の場合は船体中央部の艦橋などは原型を留めない状態であったのに対し、武蔵は艦橋、煙突、後部艦橋(上部欠損)の上部構造物が発見されている。ただしマストはなくなっている。この部分は船体前部からおよそ500メートル離れた場所で左舷を下に横倒し状態で見つかっている。その前部船体と艦橋等部分の中間地点に副砲塔が発見されている。


この書籍には武蔵被弾箇所の説明図もカラーで載っており、第4次空襲時を除いて各空襲時の被弾・被雷状況が詳しく載っており、また艦橋上部の防空指揮所に命中した爆弾の侵入経路と第一艦橋内での爆風の方向などもカラー図で詳細に載っており、オレにとっては貴重なバイブルになりそう。
また、今回の発見で、武蔵と大和の相違点が新たに発見されたのに伴い、その解説と絵図も載っている。史実どおりの精密模型を制作する方には願ってもない情報であろう。